LPit-Xのどうということもない記録

益体もないことのみが綴られる予定。

いつかのあした

 櫻が咲いたどころか散り始めてるのにこの寒さって……。


 山の方は雪が降って積もってるらしい。

 なんだかなぁ。

 *

 自分の親戚に楽器の演奏を趣味にしている人がいる(入れ込みようはかなり本格的)んだけど、先日
「あなたも楽器を習ってみたいとか思いませんか?」
って言われた(正確にはメールですが)ので

「自分にはその方面の才能が全くありませんからいいです」

って返事したら怒られたミ

「いや自分も才能はないけど楽しくやってるよ?」
って言ってくるので
「才能がある奴はみんなそう言うもんです」
って返事したら更に怒られたミ

 ……そんな怒んなくてもいいじゃんよー、と思うのだが、まあ冷静になって考えると冷静になるまでもなく、あ、まあそりゃ怒るわな、とは思う。


 でも自分が悪いのはわかっているけど謝る気は全くない(マテヤ

 ・

 そういうことがあったので、普段は気にならないようなものにふと目が行く今日この日。


 近所に音楽教室の宣伝ポスターが貼ってあって

「音楽は何歳になってもできる趣味です。今から始めて遅いということはありません!」

というキャッチフレーズが書かれていた。


 自分には音楽教室のメインターゲットってまずは幼児(というか子供のいる親)だというイメージが強いので、もはや音楽教室もこんなキャッチフレーズを考える時代か……としんみりした気分に。


 でも親に訊いたら今や音楽教室の生徒は ほぼ大半中高老年層とか。
 親の通ってる和楽器教室も“若い人”は ほぼ一切いないそうな。

 和楽器だから、ということではなく、今や、というか随分前からそういうものらしい。


 そうなのか……と重ね重ねしんみり。

 ・

 自分は音楽と絵画にだけは才能がなく(いや、それ以外なら才能があるのかよ、と訊かれたら…ゲホゲホ、というところだけど)、才能の無さを努力で補うという意識が欠片も持てないに決まってる、習えば習うだけストレスを貯めることになるだけに終わるよな、と思ってるので−なんでそう思うの? って訊かれるとちゃんと言語化して答えられないのだけれども−音楽教室に行きたいとはちっとも思わないが、でも、何故だかは判らないが今日そのポスターを見たら

「自分も50歳まで生きていたらなにか楽器を習ってみるか……」

という気分になった。


 なぜそういう気分に突然なったのかは全くわからない。

 ……でも、今は絶対無理だけど、50歳くらいになったら自分にもできるようなきがする。
 50歳では無理でも、60歳くらいになればできるような気がする。


 音楽を演奏するのって楽しいし面白いなぁ、と思いながら楽器を習う、ということが。


 50歳になれる予定は今のところ「一応ある」「ないことはない」という程度で、ぶっちゃけ「平均寿命年齢になる前に死ぬ予定はあるかもしれないが平均寿命年齢まで死なない予定もある」程度だが、これまでよりは具体的な目標ができたのではないだろうか。